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ホーム > 東日本大震災に対する流通科学大学の対応について > 南三陸にFMを! 学生からの活動レポート(5月)

南三陸町災害FM活動報告

 

 

 

 

2011年5月
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更新日:2011年5月13日

南三陸にFMを! 学生からの活動レポート

RYUKA被災地復興サポートチーム 活動報告

南三陸町災害FM「南三陸災害エフエム」開局に参加する学生ボランティア「RYUKA被災地復興サポートチーム」のメンバーから活動報告を受信し、こちらのページに掲載します。

基本的にチームメンバーの学生から届いた文章を原文のままお届けしています。


 2011年5月22日(日)   あき

南三陸に滞在する最後の日。

9日間は長いようで短かった。

何ができるだろうか?

何をすべきだろうか?

そんなことを考えてやってきた。

けれど、現地に着いて行動を起こし初めてからは、そういうことをあまり考えなくなっていた。

今はただ目の前にあることを、精一杯やる。それが私にできる最善だと知ったから。

最後の生放送。


気持ちは軽かった。

現地のスタッフのみんなとお別れするのは寂しかったけれど。

番組に関しては任せられる、大丈夫だという気持ちが大きかった。


奇跡。


本当にこの南三陸災害エフエムは奇跡を何度も繰り返して立ち上がっている。

奇跡を起こせた彼らなら、きっとこの先も大丈夫。


そうしてベイサイドアリーナをあとにした。

志津川の風景。

瓦礫と化した町。

この光景は一生私の中に残るだろう。


何か伝えよう、と思った。

私は本当に個人レベルでたくさんの人から話を聞かせて貰っていた。

だからこそ、個人レベルでの付き合いや、個人レベルでの感情を切り取っていける。


改めて。

みんながみんな少しずつでいいから、今できることを、そうしてこの先もできることを考えていけばいいんじゃないか。

押しつけになってはいけない。

けれど、何かしたい、何かできないかと一度でも思ったことがあるのならば。

できることを、どんなことでもいいから、やればいいと思う。

気持ちに優劣なんてない、小さいことだと思っているその一歩は本当はとてつもなく大きな力だったりする。

忘れないでいる、ということだけでも、それが私たちのできることなのだ。


眠気と格闘しながらこの文章を書いている。

支離滅裂かもしれないが、今、この瞬間だからこそ書ける言葉もあるだろうと、書いている。

とにかく、そういうことだ。

これからも一生繋がりを持ってゆきたい、絶対に。

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2011年5月22日(日)   ニッキー

22日目のボランティア最終日。午後の8時。
今私は仙台を離れて空の便で大阪空港に到着しました。

今はまだ全然帰ってきた実感がわきません。
まだ気持ちは南三陸町に残っていて、再放送の配信を終えて、これから宿に帰らなければ!という感覚にとらわれています。

振り返ると、
災害ラジオ局の立ち上げと、その運営のサポートを目的とした今回の使命は、なんとか果たせたものと感じています。

数日前はみんなラジオに関して素人でした。
私たちが最後に関われた本日最後の放送のミキサーを担当したのは、高校を卒業したばかりの18歳の女の子。
17日の立ち上げからはじめてミキサー台をさわった彼女は、今では1人でしっかりとその役目をこなしていました。
その様子はとても頼もしかった。
アナウンサーを勤めるのは、もと塾講師の方。
ディレクターは元新聞記者。皆さんしっかりと自信をもってラジオをつくっていました。

リーダーとのわかれの熱い握手や、
今日帰り際に、メンバーに「ずっといてくださいよ」といった声をかけてもらって、胸がいっぱいになりました。
サポートに来たと思っていた私たちでしたが、
むしろ、現地の方々達にさまざまなことを教えていただいたという感の方が強いです。
明るく振舞ってくださいましたが、彼らはもともと被災者の方々。近しいものを失った方はいるし、なにより人生はがらっと変わってしまった。
そんななか、彼らは震災を受け止めて、その上で前向きにどうすれば町の人々のためになるラジオを絶えず模索していました。
意欲的で、使命感を持って活動されている姿勢に私自身が励まされました。
ここの土地の人達って(少なくとも、私が出会った人達は)、本当にいいですね。親切で優しい。彼らと親しくなれたことは私の宝です。

災害復興のお手伝いでおかしな言い方ですけど、私にとっては一生一度あるかどうかのいい経験でした。
このメンバーで現地の人達のためのラジオの立ち上げに関与できたことを誇りに思います。

このつながりを大切にし、彼らに対してなにかできないか考え続けたいと思います。 

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2011年5月22日(日)  T

登米市の宿から放送局のあるベイサイドアリーナに行く車の中、この文章を書いています。

車窓から流れて行く景色はある瞬間に穏やかな田畑から、人の生活の形跡を含んだガレキの山に変わります。

 

今日午前10時からの1時間の生放送を最後に我々「RYUKA被災復興サポートチーム」は南三陸町を去ります。

 

正直まだ帰りたくありません。

8人のラジオスタッフは役場の担当も含めて9人のチームになりました。

みなさん本当に素晴らしい方達で、数日のうちにラジオ局を回せるようになりました。

一人元記者さんがいますが、あとは全員がゼロからのスタートでした。

 

「才能」なんて簡単な言葉で済ませるべきじゃないと思います。努力と強い意思で急激に成長されました。

 

だから放送することに関しては心配ありません。
帰りたくないのは、ただ少しさみしいだけです。
でも我々はあくまでもサポート。いつまでも現場にいては皆さんの自立的放送を妨げることになります。これからトラブルもあるかもしれませんし、壁にぶつかることもあるかもしれません。でも我々がそれを未然に防ぐことで個人や局の成長を妨げることにもなると思うのです。

 

これは今まで「RYUKA-STYLEプロジェクト」と「文化会」という2つの団体を立上げ、後輩に引き継いできた経験から学んだことです。

 

あとはラジオチームの皆さんと役場のみなさんで放送内容を吟味し、地域の皆さんのニーズを掴みながらより良い放送局を目指していってほしいと思います。

 

 

ただリーダーと一つの約束をしました。

 

「神戸に戻ってもずっと見ていて欲しい、少し離れたところから見て気づいたことがあればなんでも教えて欲しい。一生、よろしくお願いします」

「離れても我々気持ちは一緒です。なにかあればすぐにでも飛んで行きます。一生、よろしくお願いします」

一生という言葉は軽はずみに使うべきではないと思いますが、でも気持ちに嘘はありません。本気です。

 

「RYUKA被災地復興サポートチーム」の現地でのラジオサポートは本日で終了します。

でも関西からずっと見守り続けて行くつもりです。チームの皆さんがそう望んでくれたので。

 

また今回南三陸町にきて素晴らしい出会いが沢山ありました。また違う形の復興サポートをしていけそうです。まだ可能性の段階ですが、関西から何かしたいという気持ちを持った皆さんと一緒になって何かできそうな、そういった環境を作れそうな機会を得ました。 

 

「RYUKA被災地復興サポートチーム」はラジオのサポートチームではありません。
あらゆる方法で被災地復興を応援するチームです。
だからチーム名を決めるとき、ラジオという単語を入れませんでした。終わりにしないために。
復興にはたぶん長い年月がかかります。 

 

車窓からはまだ延々とガレキが流れて行きます。

この景色に色が戻るまでチームの活動は終わらせないつもりです。  

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 2011年5月21日(土)  広報より

今日は交替で3人のメンバーからお電話をもらいました。  まずはあきさんから。


(広報) 元気ですか?体調崩してないですか??
(あき) 元気ですーー! 周りのみんなに感心されるくらいです。
(広報) 今回のあきさんの役割、とか仕事の担当はどういったものですか。
(あき)

私はアナウンサー、というかアナウンサー補佐というような形で、実際の放送に参加することが多いです。

番組の中にはいろいろなコーナーがあって、それぞれ現地の方の担当スタッフが決まっているのですが、その全体的なつなぎというか進行、のようなことをしています。会話が滞ったら質問をはさんだり。

あとは被災された方の中からいろいろな話題を提供してもらうのですが、実際その方に来ていただいて、ライブのような感覚で話してもらうことも多くて、その人選や話題集め、コーディネーターのようなことをしています。

RYUKA-STYLE(広報注:学生によるキャンパスペーパー)の取材で経験したことを活かしています。

 

また以前から、ラジオという媒体で情報を伝えるということはどういうことか、リスナーの状況を考えて災害時に何を発信すればいいのかを考えていたので、南三陸災害エフエムでの放送の方向付け、指針を確定して、現地のスタッフが運用できるようにお手伝いしたいと思っています。

(広報) 昨日のTさんの文章には、離れた地区の情報がなかなか入ってこないということだったけど、現状はそのような感じですか。
(あき)

「南三陸災害エフエム」の出力は30Kwで、本来なら非常に広範囲をカバーできるはずなのですが、山がちな地形が障害となって、電波の届いていない地区がたくさんあります。

それがこちら(発信者)側の問題としてあり、まず早く中継局を作って、電波を広範囲に届けることが急務です。

 

 

また私がここで強く心に思うのは「温度差」という言葉です。

 

「南三陸」の中でも山側は被害も少なくて道路も「寸断されて」いる状況ではない。そのような地域差、あるいは一人ひとりの被災者の方にとっても、「失くしたもの」がそれぞれ違う。そんな被害状況の差、環境の差が厳然とあって。 

大震災から2か月経過した現在、「がんばろう!」という人と、まだ立ち上がれない人と。

 

ラジオのスタッフや、ボランティアに参加している方はどちらかと言えば「がんばろう!」って前を向いている人が多くて、メディアでも「復興に向かう南三陸町」と報道されています。 
一方でまだまだ打ちひしがれて立ち上がれない人はいっぱいいる。その方々を置いてはいけない、でも前を向いている人に「ペースを落とせ」「立ち止まれ」とも絶対に言えない。  

 

その「温度差」が、強く胸に迫ってきます。これは現地に来て初めてわかった、実感した気持ちです。

 


一緒に、いつかは前を向ける、そのためになにができるのかを考える日が続いています。

(広報) 現地での活動も残りほぼ1日ですね。
(あき)

早すぎるーー こちらに来てもう1週間以上たつなんて、信じられない。

「被災地支援」って本当に長い期間、継続した支援を続けていくことが必要です。

できる場所で、できることをやっていけばいいんだと思うので、帰ったあと、自分に何ができるのかを考えます。

自分の得意なこと、役割はわかっていると思っているので、それを活かしていきたいです。

 


 

あきさん、放送の合間に、長々と電話にお付き合いいただいてどうもありがとう。
活動は本当にラストスパート。24H、一気に駆け抜けてくださいね!

チームメンバーは明日正午頃に南三陸を出発し、夜、関西方面に帰ってきます。
帰還後もこのページで彼らの文章の公開は続けていきますので、どうぞお付き合いください。

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2011年5月21日(土)  広報より

ニッキーと電話でお話できました。


ミキサー担当のニッキーです。
今もお昼の放送を終えたところですが、だいぶ慣れてきてミキサーも板についてきました。
現地スタッフの指導も、ということだったのですが、18歳の女性二人でちょっと教えるとスイスイ操作してしまうので、あまり苦労することもなく順調にいきました。
「マニュアル」作成も考えていましたが、そんな状況なので通常の運用には必要なさそうで、ただラジオのスタッフの勤務時間外に緊急事態が発生することを想定しての「緊急時運用マニュアル」みたいなものは必要だろうと話しています。その場合は町役場の職員の方が放送することになるので。

こちらに来てからは時間がたつのがとにかく速くて、飛ぶように過ぎていきます。
朝8時にスタジオ入りして、1日の放送を終えて宿に戻るのは21時ごろ、夕食などを済ませて明日の放送準備が始まるのが日付の変わる頃、のような生活です。

これでは交換するしかない、というような機材トラブルもありましたが、なんとか穴をあけることなく、放送を続けています。

リスナーの方の反響としては、放送が始まってから「何かお手伝いしたい」と来てくださった現地の方や、多言語に堪能な方が「放送聴いたよ」って来て、翻訳が必要なものがあれば翻訳するから、と申し出てくださったり。

またFMわいわいさんが受信機をたくさん用意して「ラジオの受信機がない方は取りに来てください」と放送で呼びかけると、たくさんの方が取りに来られたりと、聴いていただいている、聴き続けたいと思ってくださっていることを感じています。

 

現地の状況としては、実は電話が全然復旧していません。本当に生命にかかわるもの、ライフラインの復旧が先なので電話は後回しにされていると言うようなことを聞いています。

 

また住民の方、ボランティアの方など被災された方の声としてよく聞こえてくるのが、被災地以外での安易な「復興」ムードに危惧を感じていらっしゃる声です。

 

「2か月で町はこんなに瓦礫も片付けられきれいになった。復興への第一歩だ。」「南三陸は復興への道を歩き出しました」として「終わらせよう」としているのではないか、と。

片付いたところはあるけれど、でも全く手が付けられていないところもあるし、まだ毎日新しいご遺体がスタジオのすぐ隣にある安置所に運び込まれています。

まだまだ「復興一色」じゃない、という印象が強いです。 (談)  


 

電話でお話した限りでは、いつもの元気なニッキーでした(しかしやはりお疲れ感の漂うときも)。

あと1日、とにかくがむしゃらに、がんばってくださいね。

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2011年5月21日(土)  広報より

最後にチームリーダー Tくん。


こちらに来てもう8日目、明日には関西に帰るということが信じられないです。

文字通り「あっ」という間で、なんだかこの1週間がなかったような気もするのに、ひとつひとつ思い出していくと「あんなこともあった」「こんなこともあった」「この人に出会った」とか、いろいろいろいろ思い出されてきて、あぁ、こんなにいっぱいいろんなことがあったなぁと思える。なんだか不思議な感じです。密度の高い日を過ごしてきたと思います。

いただいた名刺だけでも50枚以上、僕は30枚しか用意していなかったので、この何日かは名刺交換ができませんでした。

 

現地のラジオスタッフとして8名の方がいらっしゃいます。

 

皆さん当然ながら被災されていて、避難所にいらっしゃる方や、住んでいた家を流されてしまった方もいます。

その方々は被災者として切実な立場から、本当に「今」「ラジオで」必要な情報を考えていらっしゃいます。本当に全員、熱い気持ちで、使命感にあふれて、すばらしいスタッフ、すばらしいチームだと思います。

 

そのスタッフのリーダーに当たる方が、今は災害情報を放送する放送局だけど、今後長く続けていって、このFM局が地域の情報集約・交流の中心的な存在に、本当の地域コミュニティラジオに育てていきたい、と語ってくれました。

 

同じことを僕もずっと考えていて、神戸には阪神大震災を契機に誕生した「FMわいわい」さんがずっと活動を続けている。「南三陸災害エフエム」もわいわいさんのような局に育ってほしいと思っていた自分の気持ちと、リーダーの方の想いがぴたっと重なった気がして、とても嬉しかったです。

 

災害FM局として機能している今も、情報交流の場としてのラジオはとても重要な役割を果たしていると思います。

 

この放送局があるベイサイドアリーナには、いろいろな組織の方が滞在しています。
自衛隊、警察、町役場、病院、各地からのボランティア ・・・などなど。
そういったいろいろな組織・立場の方がそれぞれ単独で活動するのではなく、お互いがどんな活動をしているかを知ることによってお互いの活動を有機的につなげていけるように、情報を提供していくことが必要だと感じます。

現状ではそのような「情報の中核」としての立場を、微力ながら果たしていると自負していますので、今後はそれをいかに強めていくか、ラジオは復興にどう貢献できるのかが問われているのだと思います。

 

また最近のメディアの報道に感じること。地域の方からも同じような声をよく耳にしますが。

 

大震災からもう2か月、少しずつその傷跡を風化させていきたいのではないかという気配を感じます。
ボランティアセンターの男性が報道記者に「もっと現状を見てくれ!知らせてくれ!!」と詰め寄ってらっしゃるのを目にしました。
被災地以外に対して、被災地の現状を発信し続ける、ということもこれからの大きな使命です。

 

・・・というような感じで、僕たちは手ごたえを感じながら、夢中で日々を過ごしています。

 

ラジオの運営は、もう現地のスタッフの方が十分にやっていけます。そういう意味では南三陸を離れることに不安はないので、今後は関西に帰ってから何をするか、どう関わっていくのか、さぐっていくつもりです。  (談)

 


 

お疲れさまです。手ごたえを確かめつつ、次を見据えている姿勢に頼もしさを感じました。
とりあえず、今日明日はがむしゃらに突っ走って、帰ってきたら「その場所で」「神戸で」できることを考えていきましょう。

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 2011年5月20日(金)  ほそみち

こんにちは。本日、Tさんからメールが届きました。以下文面。

 


後方支援要請連絡

後方支援の二人に情報収集をやってもらいたいです。

今我々は現地のラジオスタッフさんと一緒になって日に2回(各1時間生放送)ラジオを放送しています。

そこに毎日2人ゲストを呼んで番組をやってます。行政の方も町の方も他県からのサポートの方もどんどんやってきて、素晴らしい放送になってきつつあります。

これも後方支援2人のサポートがあってのこと。本当にありがとう!

 

さて本題、我々は内側の狭い範囲ことはよくわかるんですが、広域の南三陸や外から見た南三陸の情報が全然入ってきません。二人が報道とか新聞とかネットを見ていて、南三陸にいるこの人やこの団体はすごいという情報をキャッチすれば教えてください。

 

こっちのラジオチーム(町民のスタッフ)に伝えて判断してもらい、我々がサポートして取材やアポイントをとります。

選ぶ基準は災害FMなので、地域の人が聞くとよいであろう話ができる人です。またそういった情報を持っている方。地域で復興を精力的にされている方なんかも、話していただくといいかもしれません。

例えば町長さんは、メディアでは沢山出ていますが、町民はテレビが見れない場合がほとんど。結果として、内側のほうが町長の考えやか復興の考えなどを知らない現状もあります。

というわけで外のメディアがキャッチした情報でよさそうなものをこっちに中継するのを二人にやってほしいのです。

 

我々がこっちにいる間にどれだけ素晴らしい人との繋がりを作っておけるかが、今後ずーっと地域に残って愛されつづけるラジオになれるかの鍵だと思いますので。

 

協力お願いします!!!

 


 

以上です。現地はwifiなどのインターネットがつながる場所らしいのですが、電波が弱く、コミュニティーFMを構えている場所には届かないとのことです。

 

なので、サポートメンバーがラジオ運営で重要なカギを握る存在。物凄くプレッシャーがかかりますが、私はそのメンバーとして、できる限るお手伝いがしたいと思います!!  

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 2011年5月19日(木)  T

ブログの更新が滞っていますが、現地入りメンバー全員元気にやっています。

ラジオの生放送の関係上、朝は6時台に起きますし、夜も12時を回っても作業していたりします。昨日もその前もブログを書かないと思いながら寝ていました。気を失っているというほうが適切な表現かもしれません。

現場ではめまぐるしくさまざまなことが起こります。

来たことを後悔するような悲しいこと、お腹がよじれるくらい面白いできごと、背筋が凍るようなトラブル、思わず胸がいっぱいになるような素晴らしいこと、数え切れません。それも通常ではあり得ないようなくらい立て続けにやってきています。帰る頃には1年分くらい老けているような気がします。

 

そのようなことで書きたいことは沢山あるのですが、たくさんあるから書けないという状況にメンバーみんながあります。今も午前中の放送が終わって、午後の生放送の合間に走り書きしています。

 

ただ今回のことは我々の人生において非常に大きなことになることはすでに間違いありませんので、もしかすると帰ってからになるかもしれませんが記録はまとめようと思います。

 

少しだけ状況を書いておくと、

 

10時から1時間生放送
12時から10時の再放送
15時から1時間生放送
19時から15時の再放送

以上のスケジュールで放送を行っています。

放送時間は短いですが、取材をして原稿を作って、打ち合わせをーなどなどやっていると非常にかつかつです。あっという間に時間がすぎる割にはあとで思い返すと朝のできごとなんて3日前のことのように感じます。

 

我々の実作業は放送が始まってからはあきがアナウンサーおよびアナウンサー補佐、ニッキーがミキサーおよびミキサー補佐、そして僕が何でも屋です。
メインで何かしているかというと表現できないのですが、ずーっとバタバタといろいろな団体や個人と調整をしていたり、現地のラジオスタッフの方の取材や打ち合わせについて行ったりと忙しくしています。

 

当初は我々3人がほぼ放送のメインをしなければならないかと思いましたが、現地のスタッフ8人の皆さんは予想をはるかに上回る意欲、そして地域の方に情報を発信したいという意思をお持ちだったので、できることはどんどんやってもらい我々はそれができるようにサポートしたり、その場にない発想で必要なものは助言させていただいたり、皆さんに素晴らしい放送をしていただけるための環境整備(部品がどうとかいうもの、情報入手経路を整えたりまで)を手伝ったりしています。

今回の我々の役目は南三陸町にラジオ局を設置し、その後持続可能性なようにサポートし、もどって来ることです。

そのためにはできるだけ現地スタッフの皆さんに全てをしてもらって、我々はそれができるように、またはできるようになるようにがんばらせてもらっています。我々がやりすぎると、いなくなったら動かなくなってしまうのではサポートをしに行ったのか邪魔をしにいったのかわかりませんからね。

 

現地スタッフのみなさんはお一人だけ元新聞記者の方がいますが、その他はあまりラジオを放送するようなことに関わったことがない方がほとんど(元トラックの運転手さんもいます)。

 

未経験のことの連続に戸惑う場面もありますが、最後には「取材なんか初めてだけど楽しい!」などと、僕とは一回り以上年齢が違う方に言ってもらったりしています。

 

本当にみなさん素晴らしい方で、今はもう我々のチームも現地のラジオスタッフの皆さんも一つのチームになっています。
住んでいる場所も方言も状況も年代もバラバラですが、一つの目標に向かって一体になることができています。本当に素晴らしいことだと思います。 

 

22日までの滞在なので、もう折り返し地点を過ぎています。あと少しだけやれることをやって戻ります。  

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2011年5月19日(木)  広報より

 

大学Twitterをいろいろとテストしていた広報担当です。

あきさん(おそらく)のつぶやきを発見!「南三陸災害エフエム」のブログができたのですね。

 

あきさん、こういうの得意だったよね~と懐かしく思い出しています。
ブログの文章がなかなか届かないな、と思ってはいたのですが、活動の本格化とともに文章を書くヒマはなくなるだろうと想定内。
無理なときは気にせず、一行「ムリ!!」ってメールしてくれるだけでOKです。

ちなみに流通科学大学Twitterは@ryuka_dai(流通科学大学)です。ただいまテスト運用中。

 

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 2011年5月18日(水)  広報より

昨日、みなみさんりく災害エフエムは無事開局を迎えることができました。

現地で活動されているスタッフ、ボランティアなどさまざまな方々、また技術指導をしていただいたFMわいわい、FM長岡、ラジオ関西の皆さん、そしてRYUKA被災地復興サポートチームの皆さんが「みんなで」がんばって、達成できたことだと思います。

ただ開局はまだスタート地点でしかありません。これからどんな放送をするのか、真価が問われていくのでしょう。

 

昨日、いろいろとニュース番組でも紹介されていましたね。

ネットでもたくさん、紹介されていました。

http://www.47news.jp/movie/general_national/post_3765/

http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE110517174400457064.shtml 公開終了

元気な皆さんがイキイキと働いている姿を拝見できて、安心すると共に、なんだか誇らしい気持ちになりました。

 

チームの皆さん、今日で南三陸滞在日程のちょうど半分、折り返し地点です。

限られた時間を十二分に活かして、地域の方々に喜ばれるFM局の土台をしっかり固めてきてくださいね。 

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2011年5月18日(水)  ほそみち

本日、コミュニティーFM開設と並行して行われている、公共情報コモンズの入力作業を行いました。

コモンズの詳しい内容は、サイトへ「http://www.fmmc.or.jp/commons/


簡単にいうと、現地情報(地区や町)など細かな情報を載せる、情報掲示板のようなものです。
災害時では、大きな括り(市、県)の情報はテレビや新聞などで取り上げられられ安いが、スポットの当たりづらい、(町、村、地区)の情報を載せようというものです。現地の方には、その情報の方が、明日の生き死に関わるほど重要です。

 

 

今回は、南三陸の役所が発行する新聞の記事をコモンズに入力しました。
今まで現地での情報入手手段は、人づてかこの新聞のみだったので、コミュニティーFMの必要性が叫ばれる理由がわかります。また、新聞をコモンズに入力することで、ネットで素早く情報を入手できます。

 

 

 

コミュニティーFMの場所ではネットが届きづらいのと、ラジオ放送で大変ということで私が入力することになりました。
カメラで撮影した新聞の情報を私に送り、写真データを見ながらコモンズに入力するという作業を続けました。

 

 

 

ただ・・・、写真がみづらい!!!。ニッキーに何度も写真を取り直してもらい、入力完了。約5時間ほどの作業でした。
流石に、ひたすら5時間も休みなく打ち込むことが久々だったので、指が疲れました・・・。

 

 

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 2011年5月17日(火)   ニッキー

本日ついに開局です。

朝の7時にベイサイドアリーナに到着、ラジオ放送機材の搬入を行いました。

私の担当はミキサーで、使い方をマニュアルにおこさなければなりません。

機材の組み立てに立ち会わせてもらいました。
だんだんと卓上に配線がつながってゆくと本番に向けた緊張感が増してきました。

基本は毎日10時と15時に生放送をします。 本日は特別版で15時に初回放送を1回だけ行いました。

 

放送開始を前に スタッフの皆さんと僕は15時の本番に向けて、ひたすらミキサー台をいじらせてもらい動作確認を行いました。
そこにミキサーを学ぶスタッフを2人が加わり、作業に徹します。

被災の激しい南三陸町のコミュニティFM局開設は、結構なニュースだったそうで、取材陣が半端じゃないほど集まりました。
僕は作業に手一杯で、その対応にはTさんが尽力してくださって、なんとかなりました。本当にすごい人数に、対応するTさんも精一杯でした。

 

本番前の引き継ぎスタッフとの打ち合わせ。

 

ミキサー初仕事! ニッキーとっても意欲的で、さっそく次の日の番組構成を作りを話し合ってくれました。
このスタッフの方々はみんな震災によって人生が変わってしまった方達です。
進路が変わってしまったもの、仕事を失ってしまった人、さまざまなどうしようもない気持ちを経験した人たちです。
でも皆さんとっても明るくて、勢力的にラジオのアナウンサーを経験されていました。

メンバーの1人が、今回のことで、震災を経験しても明るく元気にがんばろうとする町の人々を知って、本当にこの町の人が好きになった。彼らのために情報を伝えたいと思いを語ってくれました。

 

放送内容について打ち合わせ中 佐藤町長とあき放送は町長の挨拶から始まり、あきさんをサポートのアナウンサーに据えて、基本的には現地のスタッフの人に語っていただきました。

その様子を死ぬほど緊張しながらミキサーを使って配信しました。

現地の放送を担う方が語り、番組になっている! 胸が震えました。

ラジオと関わりない生活を送っていた被災者の方々が、 町民の方に被災地の情報提供を行いたいという一心で一つのチームになって、番組を作っている。

こんなに感動したのは久しぶりでした。

 

今日はこちらにきて本当によかったと心から思えた日です。この地のこのメンバーのラジオ局の立ち上げに携われたことは一生の財産になると思います。

 

14日にこちらにきて3日で準備したラジオ局の立ち上げ。
ついに1時間の生放送が無事終了しました。

ここまで支えて、準備してくださった皆さま。
一緒の宿に泊まり、熱心に話し合い、ラジオのことを教えてくれた松浦さん。そしてなによりスタッフとして出会えた南三陸町の皆さんに感謝の心で一杯です。

 

せっかく灯ったこの炎を22日の帰りまでにもっともっと関わって、大きなものにしていけるよう全力でサポートします!  

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 2011年5月16日(月)  T

まだこっちにきて3日目という事実が信じがたいTです。

一日一日にいろんな出来事、恐ろしい数の出会い(30枚印刷してきた名刺が残り8枚です)、大量の作業が凝縮されているせいでしょうか一日が3日くらいに感じられます。朝の出来事を今思い出しながら書いているんですが、すごく昔の出来事のようです。

 

本日は朝10時からベイサイドアリーナで三浦さんと打ち合わせ。
昨日お願いした事の確認や、さらに詳細な番組内容の話し合いなどをしました。また避難所に配布するチラシもあきが作成。ボランティアの方から避難所に貼ってもらえるようにしました。やはりたくさんの方に知ってもらい、聞いていただくことが大切ですからね。

 

昼過ぎからはラジオスタジオの設営作業。机を並べたり、パソコン、プリンターなどを運び込み環境を整えました。明日ミキサーなどの放送機材を迎える準備は完了です。

 

その後、神戸から来られた人防(*注)の職員さんと打ち合わせなどを行い、15時からは現地のスタッフさんとの会議を行いました。

初めてお会いしたのですが、年代も性別も多用で面白い番組ができそうな予感を感じました。神戸にいる時から、ずっと誰に引き継げばいいのだろうと頭を悩ませていましたが、ついに出会うことができました。少ししかお話しする時間がありませんでしたが、全力でサポートさせてほしいと感じさせるメンバーでした!         (*広報注:兵庫県「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」)

 

その後再度三浦さんと夕方まで打ち合わせを行い、明日の番組の流れを作成。またブログやスタッフの名札なども作成のお手伝いをすることになりました。

 

ブログがあれば外に情報が出せるのはもちろんですが、メンバー間の意識の共有やチームへの愛着が生まれてきたりするため非常にいいなあと思います。

名札などもまだ我々を含めそれぞれが名前を把握していないため提案させていただきました。

大学内でいくつかの組織の立ち上げに関わってきましたが、そういう細かいことが意外と重要なのは確信を持っています。
できれば要望があれば自己紹介シートなども作って書いてもらい、スタジオにはったりしてもいいのかなと思います。あだ名とか趣味とか参加理由とかどんなラジオが好きかとか…。

 

それから最後にもう一度残りの現場設営を行い20時にアリーナを出発。夕食を挟んで各自明日の放送のQシート(放送の流れ)や原稿を作成しました。
僕は明日の予定を立てたり、やることを書き出したりしました。箇条書きでA4用紙4枚くらいあると思います…。

 

そういえば現地入りしてから今までもちょくちょくメディアの取材がありましたが、明日は開局ということでピークだと思われます。明日の詳細を聞きに来た記者の数から、なんとなくすごい状況になるのが予想されます…。
できるだけ悪目立ちせず、南三陸に利益のある形で取材を受けられればと思います。

 

少々ハードですが、これほどやりがいを感じて生き生きとできる瞬間は非常に稀。後悔しないで済むように精一杯やりきります。

 

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2011年5月16日(月)  ニッキー

初回放送を明日に控えた今日は引き継ぎのスタッフの顔合わせがありました。

皆さん、被災を条件に雇用されたスタッフの方達で、避難所からきている方ばかり。震災によって職場を失った方達なので、元新聞記者や、元人材派遣のかたなど背景はさまざまでした。

皆さん良い方ばかりで、ラジオ局の活動に対しても意欲的でした。

いろいろな人材が集まって、パワーのある放送を一緒に目指したいと感じました。

 

5月16日 災害エフエムの看板を手に ニッキー&あきベイサイドアリーナにあるラジオブースが完成しました。ただ机を並べただけなのですが、あきさん作成のFMの看板を掲示すると、途端にそれらしくなりました。

 

明日の不安も大きいですが、形が完成したことで、いよいよという思いです。

 

今日も夜まで作業して、明日に備えなければいけません。

 

明日もラジオ局の設置が7時!5時起きです(汗)。

やっぱりなんでも立ち上げはエネルギーいりますが、これから長期的に災害復興をサポートしてくれる良いラジオになれば最高です! 

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 2011年5月15日(日)   ニッキー

本日からいよいよ本格的にラジオ開局に向けて動き出します。

朝はベイサイドアリーナにて、役場の担当者である三浦さんに、ラジオや町の様子についてもろもろお話を聞きました。
打ち合わせの結果。17日にすぐに現地のスタッフにラジオをやってもらうのは難しいとのこと。
というのも、このFM局を引継ぐスタッフは決まっているのですが、彼らとの対面は16日。立ち上げは17日ですので、1日で放送をしてもらうのはちょっと厳しい。

 

そこで、初回の放送はとりあえず私たちがメインで行ってそこから徐々に交代する方法をとることになりました。
Tさんと、あきさんはアナウンサーを担当してもらうことなり、私はミキサーをやることに決定。音源を流したり、声のボリュームを操作したり、放送する音全般を調整する役割を担います。

 

実は、ミキサー経験は13日に一回触っただけ。まったく操作をしたことがありません。
失敗すると 、放送を止めてしまったり音が大きすぎたりと大変なことになってしまいます。

 

松浦さんの話によると、ミキサーの引継ぎは1か月間、操作している様子を見学するところから始めるそうです。
そして、CDの再生ボタンを押したりだとか、簡単なところから少しずつ参加し、結局本番を担当できるのは半年後になるのが普通なんだとか。
しかし、今回のタイムリミットはわずか1週間。それまでにうまく引き継げるように、経験して伝えるためにマニュアルにおこすことが私の使命です。

17日に失敗しないように準備していきます!

 

昼には、初めて避難所のなかに入りました。

体育館内の居住スペースにダンボールの仕切りが立ち並んでいました。
現在でも100名以上の方がここで暮らしています。震災から2か月立った今も不自由な生活を強いられている様子でした。
この避難所のリーダーの方に、ラジオ局開設の案内をさせていただいて、建物を後にしました。
校庭には仮設住宅の建設が進められていて、いっぱいに棟がならんでいました。それでもまだまだ足りない現状というのがよくわかります。
テレビ局もたくさんこられていて、写真やカメラをまわしていました。

 

夜はひたすらラジオ開局に向けた作業を行います。
松浦さんのアドバイスを加えて、番組構成を相談しました。
開局を伝えるポスターや、シフト表を作ってくれるあきさん。常に関係者にメールして調整して進めてくれるTさん。

非常に頼もしい限りです。

外国語放送の流すものは決定したので、私はその作業です 。時間帯にして15分50秒。もっと削らないといけないです。明日の晩は編集かな。

初回放送は明後日です!がんばっていきます!

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2011年5月15日(日)  T

本日は役場でラジオの担当職員さんと打ち合わせをしました、Tです。

これまでは人を通してのやりとりなので、直接打ち合わせをするのは初めて。
まさか自分より年下とは思わず驚きましたが、各部署とのやりとり、役場内の情報収集は全てやっていただけるとのこと。

仕事を任されるのは初めてで、うまくできるか不安とのことでしたが、大変頼もしく見えました。我々もできる限り全力でサポートします!

我々のミッションを再確認すると、現地に入りラジオ局を立ち上げ、しばらく放送を行い、一連の流れをマニュアル化し、引き継いで帰ってくるのが仕事です。

 

その上でもっとも大きな懸案事項は、引継ぎ手の存在です。

自分たちにはどうしようもない大きな悩みでしたが、8名の方がスタッフに決定しました。(我々が行く少し前に役場が見つけてくださいました。
というわけで後はいかにシステムを作り、引き継ぐかということを考えれば良さそうです。

当初は我々が引き上げてもまだ見つかっていない可能性もあると考えていましたから、凄まじい進展に思えます。

ただ皆さん経験のない方も多いそうなので、初回の放送は我々サポートチームを中心に行い、徐々に離れて行くことになりそうです。
放送で噛まないか不安…。あとニッキーがミキサーでミスしないか不安…。

その後はいくつかの施設、団体にお話を伺い周辺の把握に務めました。

取材などをするかわかりませんが、どういった方がいて、どういったことをされているか知っておくのは重要です。
最後に我々で長時間の作戦会議を行って、初回放送のイメージや放送のイメージなどを固めました。明日役場と詰めるのがラストチャンスです。

 

17日の初回放送に向け明日も打ち合わせの連続です。一瞬一瞬を大切にして、少しでもスタッフの皆さんに良い放送をしていただき、南三陸の皆さんに情報をお届けできるようになればと思います。

 

昨日は地震が2回ありました。こっちにきて初めてです。もっと頻繁にあるかと思っていましたが、少しずつ落ち着いてきているようです。

 

2回目の時は「これは震度5はある!!」と身構えましたが、震度3だったようです。何人かから大丈夫かという連絡があって、情報も教えてもらいました。ご心配ありがとうございます。こちらは全員元気でやっております。

 

後方支援ほそみちは電話くれましたからね。いくつか仕事をそっちに回したいのでこの後も作業よろしくです。

 

明日も何が南三陸町のみなさんのためになる事なのか頭を悩ませながらがんばります。  

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2011年5月15日(日)  ほそみち

本日は、一昨日から引き続き、CD音源の入れ込み作業を行いました。

朝11時、FMわいわいさんへ到着。そこから16時ごろまで、いろいろなジャンルの音楽を入れました。

また、実家から数十枚音楽を持ち込み、まだジャンルで曲数の少なかった、ヒーリングミュージックとクラシックを補いました。

 

FMわいわいさんへ行くといつも思うことがあります。
それは、地域の方々が多く集まり、話し合いの場所として使われ、大変楽しそうだということです。

 

老若男女さまざまな人が集まり、1つのコミュニティーができている。

これこそが、地域密着のコミュニティーFMの素晴らしさだと感じました。南三陸もこのモデルケースのようになってもらいたいですね!

 

作業中、FMわいわいさんのスタッフさんからおやつをいただきました。ほんとに感謝です!

 

16時から車でラジオ関西へ移動。18時きっかりに、ラジオ関西のスタッフの方へ予定の品(音楽編集用PC、外付けDVDドライブ)をお渡しし、帰宅しました。

 

曲の状況    ※確定版

  • 全2572曲
  • Jpop          508曲
  • オーケストラ      11曲
  • ジャズ         54曲
  • ヒーリングミュージック 115曲
  • フォークソング     295曲
  • 演歌          309曲
  • 歌謡曲         162曲
  • 子ども用         334曲
  • 童謡          145曲
  • 洋楽          371曲
  • クラシック       177曲


あとは、現地スタッフにバトンタッチです。T先輩、アキ、ニッキーがんばってください!  

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 2011年5月14日(土)  T

8時過ぎに伊丹空港で集合し、あきとニッキーと一緒に朝ごはんを食べていると携帯がなりました。
「いまどこにいる?」
福井先生でした。昨晩別れ際に帰って来るまで会わないですねという会話をしていたのに、見送りに来てくださいました。嬉しかったです。サプライズ上手すぎます。

11時前には仙台空港に到着、バスで市内まで移動し、レンタカーを受け取りました。
市内までくるとほぼ被害は見えない状態でしたが、空港周辺は瓦礫の山や枯れた草木が津波の恐ろしさを物語っていました。

市内で機材の受け取りやプリンターや周辺機器など必要なものを買い揃え、いよいよ南三陸町へ。ある程度予想はしていましたが、言葉を失いました。
写真を撮ろうとも思いましたが、フレームを通して景色を眺めた瞬間現実味がなくなってしまいます。映画の中の光景というか、遠い場所の出来事というか。
メディアなどで見るものともスケールがまるで違います。陸に上がっている船、土台だけを残して何もない家、ただただ津波の恐ろしさに圧倒されました。フィルターを通していると感じることのできない空気感がありました。

ぐるりと周辺の地理を確認し、放送を行うベイサイドアリーナへ。
ラジオを行う場所の確認や担当の職員さんへ挨拶をしました。担当の方が僕より若くて驚きました。
アリーナの入り口にはたくさんの張り紙があって、さまざまな情報が掲示されています。こういった情報もラジオで伝えるのだろうかと考え、情報を収集していると少し離れた場所で子どもが「増えてるー!」と無邪気な声をあげていました。それを号令にして他の子どもたちも集まって来ます。
なんだろうと思い、視線をやるとその一帯は発見された遺体の詳細情報でした。
しばし呆然と立ち尽くしてしまいました。

隣町登米市の宿に18時ごろに到着。
今回お世話になる松浦さんとお会いしました。我々だけでは現場でいろいろ対応がということで日比野さんが声をかけてくださり、来ていただけることになった僕らの兄貴分です。
明日しなければいけないことなど打ち合わせを行いました。

一日の行動はざっと以上のような流れです。
町の状況をみて一瞬何ができるのかと考えてしまった場面もありましたが、夜の打ち合わせで再びやるべきことは明確になりました。
明日から本格的に動き始めます。

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2011年5月14日(土)   あき

各種メディアが報じていた被災地の姿。それは真実であり一部でしかない。

仙台空港に着いてすぐ、被災地の現状を目の当たりにした。

日常と非日常が入り混じり、混在している。

複雑な気分だった。

一見すれば、普段と変わらぬ生活を送っている地域がある。

家が立ち並び、店が軒を連ね、人々が行き交う日常が。

しかし、少し車を走らせれば、その日常がたちまち非日常のそれへと変化する。瓦礫の山、ひしゃげた車、ひび割れた道路。

その二極化にまず面食らった。

日常へと回帰する人々がいる一方で
取り残された人々もいる。

南三陸町に着いてその感は更に強まった。

海辺と山手の様相のあまりのちがいに驚愕だった。

これからここにラジオの放送を届けるために力を合わせるのだ。

精一杯のできることは何か ?それだけがあたまに浮かんでは消えた。

できることを、できるだけ。

そう再び決心を固めた。 

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2011年5月14日(土)  ニッキー

5月14日。ついに本日、南三陸町に私たちは向かいました。

早朝に大阪空港から出発し、10時30分ごろ仙台空港に到着。
津波で水に浸かった仙台空港ですが、今はその影響は見受けられません。しかし、空港を一歩出て、仙台市街地に向かう道中でその爪あとを目の当たりにします。
へしゃげたフェンス、倒れた電柱、基礎がむき出しになった家屋。現地ではじめて見た、震災の影響に、これからのボランティア活動に向けて、身の引き締まる思いがしました。

その一方で、パソコンを借り受けたり、必要機材を購入するために立ち寄った仙台の中心街は栄え、震災の影響を確認できません。地震自体より、根こそぎ建物を壊す津波がより凄まじい被害をもたらしたように感じました。

その影響も極端で、1mmでも高台にあった場所は助かって、水が届いた地域はほとんどなにも残らない。被災地をめぐる中でくっきりと違いが見て取れました。

三陸道を北上している最中、たくさんの警察の車両や、自衛隊のジープが通り過ぎます。常に私たちの前後には1台走行するような頻度でした。南三陸地方の復興のために向かっているのでしょう。少しずつ、被災地に近づいていることを実感しました。

そして、コミュニティFMを立ち上げる南三陸町に到着しました。

その様子はこれまでと比べられないほどひどかった。一面が見渡せるほど、建物は失われ、逆に押しつぶされそうなほどのガレキが点在しています。車窓からはニュースでも何回か取り上げられた、南三陸町役場防災対策庁舎が見えました。
現状を知ってもらうため、幾枚か写真も撮りましたが、このスケール感は伝えるのは非常に難しいと思いました。

 

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2011年5月14日(土)  ほそみち

本日はラジオ関西へ行き、中澤さんから多くのCD(特にJpop)を提供していただきました。私は何かとラジオ関西と関わる機会が多くあります。インターンシップもそうですが、災害ラジオプログラムや流行祭でのラジオ番組放送などです。

 

 

久々のラジオ関西訪問。しかも、今回初の従業員専用入り口から入りました。そこで、ゲストのナンバープレートをいただき、入館。
休日のラジオ関西(神戸新聞本社)は、ひっそりとしててドキドキしました。
私も仕事をしたら、こんな職場で働くのかな?と漠然と考えながら、7階に到着。(7階がラジオ関西オフィスです。)

 

到着後早速、中澤さんとお会いして、今の曲状況やどのような曲がよいのかなど話し合いをしました。また、現地でのCDや曲の取り扱いについてもお話をききました。

 

多くの方がご存じかと思いますが、曲1つ1つに著作権があります。
その管轄をしているのは、日本音楽著作権協会(JASRAC)です。ラジオやテレビで曲を使用するとき、毎回1曲単位で、JASRACに申請を出し、使用するというルールがあります。それによって、曲の作者や歌手は、お金をもらうというシステムです。

今回の東日本大震災で急きょできたコミュニティーFMのほとんどは、この手続きをせずに曲を流しているという現状がありあます。

ただし、震災などの場合は、緊急時なので、JASRACも目をつぶるしかない状況にあるとのこと。かなりのグレーゾーンで曲を使用することになるという話をお伺いしました。

 

曲を待合室(放送室の目の前)で、入れていたとき、インターンシップでお世話になった社員の方にお会いしました。

 

私が南三陸コミュニティーFM開設のサポートをしているという話をしたら、「がんばってね!本当は私も行きたいけど、いけない。応援しているよ!」という激励のお言葉をいただきました。

他にも、社員の方にお菓子をいただいたりと、部外者の私に対して優しくしていただき感謝っす!!!

 

曲の現状

  • 総数            1806曲
  • JPOP            319曲
  • オーケストラ        11曲
  • クラシック         124曲
  • ヒーリングミュージック   11曲
  • ジャズ           54曲 
  • フォークソング       295曲
  • 演歌            0曲
  • 子ども用           331曲
  • 歌謡曲           54曲
  • 童謡            145曲
  • 洋楽            371曲

 

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2011年5月14日(土) 広報より

11:08 仙台空港に到着し、レンタカーの手続をしていると連絡がありました。

思っていたよりも暖かいということですが、やはり空港周辺が瓦礫などでひどい状態であることに心を痛めているようです。

今後も無理のない範囲で、彼らの活動の状況を報告してもらいこのページに掲載していきます。応援よろしくお願いいたします。

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 2011年5月13日(金)  T

現在深夜の1時過ぎにこれを書いています。
5月初旬に作ったやることのメモはほぼ塗り変わりました。行くまでにやるべきことは概ね終了。あとは自分の荷造りをするのみです。
今回は本当にいろんな方のご助力をいただいています。
大学の外の企業、組織、流通科学大学の教員、職員、友人、家族。本当にありがとうございます。具体的に何をお世話になったかは多すぎて、書き切れません。
技術的な指導や部品の提供、アドバイス、応援、励まし、半月の間できるかぎり準備をしてそういったものに触れて今の僕になりました。多くの人に会い、話をすることで、また少し変われた気がしています。

まだまだ現地にいって打ち合わせをしてから形になることは多く、不安がないといえば嘘になります。
ただそういったご支援に報いるためにも精一杯やりきって来るつもりです。
現地の方の役に少しでも立って、恩返しとさせていただこうと考えています。

いってきます。

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2011年5月13日(金)  あき

今日したこと:ソフトの使用方法まとめ

 

 

いよいよ。

 

明日出発だ。

昨日は会議だったのに完全に寝てしまっていた...。みんなスマン。

今日は何度も何度も資料のレポートを読み込んだ。

昼からニッキーから録音ソフトや編集ソフトの使い方をまとめてほしいと連絡があったのでそれをまとめた。

夜、大阪の妹のところへ泊まりに。明日早いので、遅刻しないためだ。

電車の中でもずっと資料を読み込む 。
明日に備えて早めに休むことにする。

 

気持ちはどんどんと落ち着いてきている。
あとはやるだけだ。

 

最初は色々な雑念というか、何かをやらなければという焦燥のようなものを感じての事だったかもしれない。

 

けれど今はただ、目の前にあることを、ちゃんと受け止めて、ちゃんと伝える、それだけだと思うようになった。

 

できる限りのことしかできない。一人一人できることは違う。

 

それが募金の人もいる、それがボランティアの人もいる、それが音楽だという人もいる。それが祈りだという人もいる。それが、エールだという人もいる。

 

それぞれ、それぞれが、できる範囲でやればいいのだ。

何もしない、とか、何もできないと思う人もいるかもしれない。

そんな人は、日常を送っているということだけでも、経済をまわしている、社会に貢献している、と、思えばいいのだ。

ただしこれは押し付けるべき考えではないし、私にはそれを語る言葉もない。

 

一人一人考えも違う、一人一人受け止め方も、立場も違う。

私は今、たまたま立場上、こういう形で関わることになった、ということだ。

だから、私はできる限りのことを、私の持っている能力のなかで最大限生かしてやってくるつもりだ。

 

余計なことを書いたかもしれないが、これが今の私の正直な気持ちだ。  

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2011年5月13日(金) 広報より

RYUKA被災地復興サポートチームはいよいよ明日、南三陸町へ出発します。

朝、大阪国際(伊丹)空港より空路仙台まで、そこからは車でひたすら南三陸町をめざしてGo!

 


 

今日はチームリーダーの時任さん(情報学部4年)が出発のあいさつに広報の部屋まで来てくれました。

「準備がほんとうにいろいろあってたいへんでした」と若干お疲れ気味(すでに!)ながらも、表情は真剣です。

「本当に必要とされている情報ってなんだろう」と考え続けているものの、正直現地に行ってみないとわからないことも多いだろうと思っているとのこと。
ただ準備段階でFMわいわい(神戸)、FM長岡(新潟)の方など、実際に災害の現場で放送をしていた方たちと出会い、お話を聞くことができて「避難所にいる方の役に立ちたい!」という気持ちを強くすることができたと語ってくれました。

 

チームメンバーの時任さん、二木さん(商学部4年)、柳田さん(商学部卒業生)、後方支援の奧野さん(商学部4年)、杉元さん(商学部3年)、どうぞお身体に気をつけて、精一杯がんばってきてください。

 

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2011年5月13日(金)  ほそみち

今日は昨日に引き続き、FMわいわいさんでCDをパソコンに入れ込む作業をしました。

昨日と違う点は、1人で作業したことです。11時から開始して、終わったのが18時。昨日と合わせると、計13時間作業をしたことになりますね。はやり、いくら単純作業と言っても、大変ですね・・・。

また、ラジオ関西の中澤さんと連絡がつきました。この方は、災害ラジオプログラムでお世話になった方です。
明日は、中澤さんの協力でCD音源を提供していただけるとのこと。なので、ラジオ関西本社にいってきます!

 

 

話は変わりますが、大変なことに気づきました。音源編集用PCには、CDドライブが付いていないので外付けDVDドライブを貸していただき音楽をいれていました。(FMわいわいさんから)

 

しかし、明日は場所がラジオ関西に移るので、自分の家にある外付けDVDドライブを使って曲を入れようと考え、お借りしたものは返しました。


帰宅後、私の外付けDVDドライブを接続。
「・・・」(無反応)
「壊れてるやん!!!」

 

明日早朝に、家電量販店で買います・・・・・。確認せずに返すんじゃなかった・・・。

 

曲の現状

現在は1000曲ほど収録。主に、クラシックや、歌謡曲、子ども用の曲を詰め込むだけで終わりました。

 

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 2011年5月12日(木)  T

いよいよ出発が目前に迫って準備に追われているTです。
今日は日中助成金の書類を提出したり、書類作ったり作業をして、夕方はFMわぃわぃに関係者が集合、最初で最後の関係者全員が顔を合わせての打ち合わせとなりました。終了後は、ミキサーとマイクを前に座り、実習を行いました。


ミキサー操作(5月12日 T)ニッキーのミキサー操作とキュー振りに合わせて、原稿を読み上げます。最初は緊張しましたが、最後は「いい声じゃーん」と言ってもらえて嬉しかったです。

ニッキーのミキサー操作は実にたどたどしく、ずっと「あせあせ」っていう効果音が頭から出てました。でも深夜にはミキサーのマニュアルを作り始めていました。それを残してこないと、現地の皆さんで放送を回していけなくなってしまいますから。

ほそみちは今回現地入りせず後方支援に回ったので、ひたすら放送用の音源をパソコンに入れ込む作業をしていました。職人の目でした。

夜はおなじみに遠隔会議でそれぞれの進捗を確認し合いました。
自画自賛するようですが、いいチームだと思います。
全員が一つのクラブ出身ですが、一線を退いてからは一つの目標に突っ走るのは初めてです。
今回この5人でもう一度集まれたことを素直に嬉しく感じています。  

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2011年5月12日(木)  あき

私がこれに参加すると決めた経緯を、何も書いていないな、と思った。

なのでそれを改めて書いてみる。
自分自身の気持ちの再確認という部分においても、意味があることだろう。

 

 

あれが何日頃だったか、はっきりとは記憶していないが、とにかくTに電話をした。
思えば、あの震災直後から、私は何かにとりつかれていたのかもしれない。
焦燥感に駆られていた。ニュースも新聞も、毎日毎日震災のことを繰り返し報道する。
何かしたい、何かできないだろうか、そんな気持ちがどんどんと膨らんでいた。
大学を卒業し、春からは実家の家業を継ぐことになっていた。
しかしまだまだひよっこの私にはできることなど限られている。
仕事を覚えることも大切だったし、無論自分の本分がそれだということはわかっていた。
けれど、それでも会社勤めの新社会人よりははるかに時間の自由がきく。この時期しかない、と思っていた。

 

自分でも無鉄砲なことだと今更になって思うが、私は両親に「ボランティアに行きたい」と伝えた。

両親は「よく考えなさい」と言った。
考えた、考えて考えて、調べて。でも結局一人では行けない、と思った。

 

そこでふと思い浮かんだのがTだった。

 

そうしてやっと冒頭の話に戻るが、Tに電話をした。 ボランティアに行きたい、どうにかしよう。と。
微妙な反応をされたが、まあ考えておくというような返事を貰った。

 

それから数日後。Tから電話があった。

 

南三陸町でラジオ放送をする、という。
そういうボランティアもあるのか、と思った。
何となく、自分に向いているような気がして、一も二もなく引き受けた。
親に相談はしなかった。ただ、ちゃんと話だけはした。
「こういう話がきたので引き受けた、ボランティアに行かせて欲しい」と。

両親も私が以前言ったボランティアに行きたいという言葉を受け、色々と考えてくれていたようだ。
心積もりをしていたのか、行って来いと背中を押してくれた。
親の気持ちを考えると、おいそれとできる決断ではなかったように思う。
それでも、後押しをしてくれた両親には、本当に感謝している。

 

そして、Tにも感謝している。
何かしたいという私の漠然とした気持ちに、ちゃんとした器を与えてくれた。
元々同じ部活の同期の仲間であって、戦友みたいなものだと勝手に私は思っているけれど。

 

それにしても、本来ならば学生を優先するような事に卒業生の私を挙げてくれた。
先にボランティアに行きたいと打診をしていたお陰で、本当にタイミング良くそういう話を貰えた。

でもTがそれを私に話してくれなかったら、私はこうして今このブログを書いてもいないのだ。

だから、本当に、有難い。

 

この機会を、少しでも生かせたらと思う。
伝えることに携わってきた人間として、少しでも気持ちを共有することができたら、何かを伝えられたら、と。  

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2011年5月12日(木)  ほそみち

本日は午前中大阪で最終面接ののち、学校へとんぼ返りし、ニッキーの車でFMわいわいへ向かいました。

ニッキーと福井先生は、日比野さんや宇田川さんなど、今回のボランティアに協力して下さる方々と細かな打ち合わせを行いました。

私はその間、ひたすら音源編集用PCに音楽をインポートしていました。iTunesですべて管理するのですが、出発まで時間が無いということで今日できるだけ、音楽をいれて現地に持っていくとのこと。

 

 

入れてて思ったことが2つ。

 

  1. ものすごく時間がかかる!!
  2. ジャンルをどう分けるねん!!

 

アルバムだと1つのCDに14~16曲収録。1つのCDが4~5分で、インポート時間は最大で15倍速。単純に計算すると、1つのCDをいれるのに5分ぐらいです。
ただFMわいわいさんの所蔵するCDから曲を探し出し、ジャンル分けしてインポートする。これが結構、骨の折れる作業です。
はじめは手探り状態なので、作業はあまり進みません。軌道にのるとそうでも無いですが、その頃には、FMわいわいさんの事務所を閉める時間です。

じ、時間が足りない...。とりあえず、明日またわいわいさんで作業するお願いを聞いていただけました。

 

 

帰路。
帰りはニッキーの車で、私の家まで送ってもらいました。
車中、ニッキーが「今日は俺がずっと打ち合わせと、新聞の取材があったから俺だけじゃ、作業が出来なかった。来てくれてありがとう」と言ってました。

 

メンバーで作業出来たのは、私とニッキーのみ。
Tさんは別の用事で、途中参加、途中帰宅でした。実は、前日まで私は参加未定で急遽参加になりました。
私が参加しなければ、ニッキーは打ち合わせに手一杯で、CD収録まで手が回らなかったらしいです。 

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 2011年5月11日(水)  ニッキー 

外国語放送について

今回立ち上げるラジオ放送では、外国語放送も一緒に行う予定です。

これは、今回一緒に活動を行います、鷹取にあるコミュニティFM「FMわぃわぃ」http://www.tcc117.org/fmyy/index.php
さんの用意してくださった音声CDを利用します。

災害時における外国の方に向けた情報提供を目的に制作され、中国語、韓国語、英語、スペイン語で、緊急時の入国管理や、母国語で対応していただける音声ホットラインの連絡先などをお伝えします。

この放送の担当は私に決まり、一度この放送内容を留学生の方に見てもらい感触を確かめようと考えました。お話を伺ったのは大学院生である中国からの留学生。日本と中国における地震の認識の違いや、外国語放送放送の意義など、彼らの視点からいろいろ話をしてくださいました。以下がその内容です。

  • 震災についての認識の違い
    日本人は地震に慣れています。それに比べると私たちはあまりに経験することが少ない。ちょっとした地震でもこちらに来た当初は私たちはとても驚きました。地震に対する恐怖感の認識が日本の方と、私たちでは微妙に違っているのかもしれません。
  • この放送の意義について
    緊急時に、こういった放送があるのは素直にうれしい。この放送を聞いて安心できる人もたくさんいると思います。

震災の受け取り方の違いは参考になりますし、なにより留学生の言葉を直接聞いて、外国語放送の必要性を改めて実感することができました。 
言葉の違う国で災害にあった不安感は計り知れません。被災地には日本語が不自由な方もいるでしょう。彼らを「情報難民」にしないためにも、しっかりと準備して、放送を成功させたいと思います。 

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2011年5月11日(水)  T

Tです。本日神戸の震災時Kiss-FMでディレクターをされていた中澤純一さんのお話をニッキーと2人でうかがいました。以下覚書より抜粋。

  1. 感触をたしかめる
    役場とコミュニケーションを取ることが重要。最初にラジオへの意識やどういうツールと捉えているか明確にし、一方的に情熱をぶつけることがないように。相手のことを考えて、状況を判断しながら最善の行動を心がける。
  2. 情報入手について
    どこから情報を入手できるかを、放送が開始するまでに押えることが肝要。 そのシステムを確立し、可能な限り効率化して残してくるのが一番だと思われる。
    また発信側と受信側のニーズを引き出せる道筋を作れるかということも重要。
    発信側はベイサイドアリーナ(今回放送を行う場所で、災害対策本部が置かれている場所)内の調整。 受信側(リスナー)へは普通なら電話、メール、ファックスなどだがインフラがない場合やり方を考える必要あり。
  3. 音楽について
    多様なニーズと状況に対応できる量の音源を。
    落ち着いたものばかりのほうがいいと思っていると、どちらかというと元気を後押しするようなものが望まれているのかもしれない。
    そのあたりの判断は現地で。
  4. 地名
    地名はおさえておいた方がいい。
    放送までに現場で確認。読みだけでなくアクセントにも気を付ける。 人によっては一瞬で覚める場合もあるため。
  5. 体調管理
    向こうで体調を崩すと最悪。何しに行ったのかわからないし、迷惑をかけるので自己管理を。眠れるときは寝るようにする。

現場入りしてから何をするべきかを中心にアドバイスいただけました。
役場だけの意向を聞くだけじゃなく、放送の聞き手のニーズや感触を掴む必要がありそうです。

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2011年5月11日(水)  あき

今日したこと:ラジオの文章おこし・買い物

買い物再び。

現地で絶対に携帯の充電だけは万全にしておこうと思っている。
連絡がとれない、連絡できない、では話しにならない。

ということで、車のシガーソケットで充電できる充電器を購入してきた。
私はスマートフォンを使っているのだが、特に電池の減りが早い機種なのでこういったものがかなり重要になってくる。

 

 

帰宅してから、ラジオの文章おこしをした。
それをしながら、何となく大まかな番組構成を考えてみる。
自分ならどういう情報が欲しいだろうか、とそんな気持ちを持ちながらラジオを聴く。
アナウンサーの人の話し方や声のトーンなどにも注目してみた。 

 

上手にやる必要はないが、少しでも伝わりやすく、聞きやすくを心がけよう、と思えた。 

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 2011年5月10日(火)  T

本日は午後から人と防災未来センターで打ち合わせを行いました。
我々が行く現地の役場との間を調整をしてくださっている人防の研究員宇田川さんから重要な資料をいただきました。
役場が月2回被災者に送る広報誌を入手。
各種問い合わせ先や助成金、保険、学校についてなどなどの項目別に情報が掲載されていました。
それを見るまで、漠然と広がっていた放送内容のイメージがキュッとシャープになった気がしました。
つまり役場が月に2回だけの広報誌に乗せている内容は非常に重要=ラジオでもその情報を出して行くことが望まれているのではないかということです。

またこの日はRYUKA被災地復興サポートチーム4回目の会議も行いました。
ついにレポートは完成を迎え、枚数は50ページ以上になりました。
これらの内容はぜひ頭にいれて、南三陸の方と円滑なコミュニケーションを取れるようにしたいです。 

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2011年5月10日(火)  あき

今日したこと:買い物・資料まとめ・会議

持ち物リストを作ったのでそれに則して買い物もした。
色々と荷物が多くなる。
必要最低限にするつもりだったが、こういうものはなかなか簡単にはいかない。
ただ、できる限り現地に着いてすぐに、あれがない・これがない、という事態は避けたかったのである程度荷物が多くなるのは仕方のないことかもしれない。

帰宅してから、事前レポート資料をまとめ終わる。
完成すると、何と約60頁と膨大な量に。

少しでもこれを頭に入れ、現地に着いたときに役立てることができればいいのだが。

会議で触れていたが、避難所の再編成も進んでいるらしく数を減らしてゆくらしい。

私達が放送を行うベイサイドアリーナも避難所ではなくなるようだ。
少しでも情報が行き届くようにつとめたい。

9日に正式に災害FMを設立する旨が南三陸町から出されたことについても少し。

実際にこうしてニュースになるような事柄に関わるのか。
気負うわけでもないし、プレッシャーを感じるでもないが、できる限りのことをしようと思った。

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2011年5月10日(火)  ほそみち

こんにちは。ほそみちです。今日は最終面接の1日目と、21時からスカイプで会議をしました。
私は、就活に集中するということで、特に報告はありませんでした。

  • 面接
    今日の会社は、3対1の個別面接(内:役員1名、人事2名)です。特に緊張はせず、自分の言いたいことをしっかり伝えられたと思います。自分の中では、100点中90点で、かなりの手応えを感じてます。連絡が楽しみですね!
  • 会議
    特に報告事項はなく、他のメンバーの報告を聞きました。ただ、ニッキーがサイマルラジオの文章書き起こしを頼みたかったようなのですが、お手伝いできませんでした。私の分は、アキがやってくれるとのことです。

 

会議の終わりにメンバーから最終面接がんばれと、激励の言葉をもらいました。やっぱ、友達って良いですね・・・(泣)。
会議では、恥ずかしさのあまり、素っ気ない返事をしましたが内心、物凄く嬉しかったです。今回のボランティアに参加できて良かった。 

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 2011年5月9日(月)  T

3回目のRYUKA被災地復興サポートチーム会議を行いました、Tです。
前回からの状況の変化を共有し、各自が担当していた事項の報告を行いました。

あきが卒業していることもあり直接合うことがむつかしいので、スカイプで会議をしています。 表情が見えないと距離感がはかりにくいのと、気が散りやすいのでつい会議が長くなってしまいます。

南三陸・登米のレポートはかなり進んできており、相当分厚い資料になってきました。
これなんかは我々以外でも、本学で南三陸にボランティアに行こうかなという方は事前知識を付けるために使ってもらえるのではないかとも思います。

それとついに南三陸町に緊急災害ラジオの名前と周波数が決まりました。
みなみさんりく災害エフエム」 周波数は80,8メガヘルツ。
名前を決めていただけたことで、ぐっと今回のプロジェクトが現実味を帯びてきたように思いました。

それにしても、会議は全員を集めようと思うと深夜になるため、僕が議事録を完成させる頃には夜明け付近になっていることもしばしば。
体力的にきつい面もありますが、それ以上に強いやりがいを感じるためになんとか続けられています。
残りの短い時間を大切にしましょう。

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2011年5月9日(月)  ほそみち

本日、選考を中断している会社と連絡がつきました。結果は、20日からの選考は未定とのことです。

その返事をリーダーである、Tさんに報告したところ、今回はサポートメンバーに決定しました。

私としては、ぜひ現地でボランティアをしたかったのですが、サポートするメンバーの必要性、また2陣メンバーの不確定さもあって、今回は裏から全力を尽くすこととなりました。  

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 2011年5月8日(日)  T

この日は元ラジオ関西アナウンサーの吉田さんにお会いして、ニッキーと2人アドバイスをいただきましたTです。
去年防災ラジオの講座でレクチャーしていただいていた縁があり、現地に行くまでに一度お会いしていただけるようお願いしたのでした。
神戸の震災時、ラジオが果たした役割や取材の時のスタンス、アナウンスのアドバイスなどをいただきあっという間に時間はすぎました。

3時間に及ぶ話の中でもっとも大きかったのは、自分が今回のラジオ放送の中身に対して少し受け身になっていることに気づけたことでした。呼ばれて南三陸のためにやることだという意識が強く、現地のニーズを見ないとわからないと、勝手にイメージを膨らませないようにしているところがありました。でもそれだとニーズがうまく拾えなければ終了です。(役場と直接会って打ち合わせができるのは現地に入ってから。放送開始数日前です。)
向こうの意見にプラスして提案できるように、自分としてはどう言う放送がしたいのか、また我々が引き継いだあとどのようになっていってほしいのか考えるきっかけを与えてもらえました。

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2011年5月8日(金)   ほそみち

こんにちは、ほそみちです。

本日、20時より第3回目の会議を行いました。私は10時からバイトが入っていたので1時間ほど参加しました。

レポートの完成版を提出の後、報告を行いました。結局、作成したしたレポートは22ページもの分量になりました。東日本大震災の基本的データから始まり、南三陸の医療、行政、産業、ボランティア、ライフライン、避難所、仮設住宅などの現状報告。また、南三陸の写真を資料として添付しました。あきからのまとめレポートが楽しみですね。

 

話は変わりますが、来週から3日間、人生を左右する選択の日が迫っています。会議で、私の担当する仕事は、3日間を過ぎてから新たに決定することとなりました。つまり、来週は就活がんばれ!ということらしいです(笑)。

 

 

来週の3日間に、たまたま最終面接が連続で入ってきました。それは次の週からボランティアに専念するために、その日に決める運命なのかなと私は感じています。  

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2011年5月8日(日)  あき

今日したこと:会議

前日は東京に行っていたが、8日の会議に間に合わせるため帰宅。
会議中、ラジ関のアナウンサーの方にヒアリングした文書を貰った。
阪神淡路大震災を経験したアナウンサーの方の当時の体験からの話。

 

読んで色々と気付かされた。

 

まずスタンスとして、気持ちを理して共有するということが大事。 上手くやる、とかそういうことが必要なわけではないと思う。

ただ、伝わるように、伝えられればいいんだ、と。

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 2011年5月7日(土)  ニッキー

元ラジオ関西アナウンサーにお話しを伺いました

5月7日(土)元ラジオ関西アナウンサーの吉田秀子さんにTともに、お話をお伺いしました。吉田さんは阪神淡路大震災を経験したアナウンサー。当時の体験から、災害放送のスタンス、被災地の方との接し方、放送技術についてのアドバイスなど、3時間ほどみっちりとさまざまなことを教えていただきました。

 

リストマーク(青四角)災害時のコミュニティFMの立場

まず、何を目的にラジオを行うのか明確にする必要があると思います。「この地域のことは、この放送を聞いたらいい」と言える内容を目指してください。

震災直後はラジオぐらいしか聞けませんが、ライフラインが復旧して、落ち着いてくるとみんなテレビを見るようになります。でも、テレビって、いつもその地域の情報をやっているわけじゃない。みんなが聞きたいのはそこなんです。
今、自分たちの地域で起きていることを常に知ってもらうこと。復興の様子など、聞いて元気になれる情報は、みんなで分かち合うこと。これがラジオの役割なんだと思います。
例えばですが、阪神淡路大震災の時、神戸や長田はよくニュースになるが、明石等の地域は報道されないと指摘を受けることがありました。

窓口が確立して、連絡が取りやすい地区は情報が出てきやすく、取材に行きやすかった。そのため、メディアは同じところに殺到する傾向があったんです。

南三陸町の中でも、注目される避難所と、そうでない避難所が出てくるでしょう。
そんな中、一番大切なのは、被災地の皆さんに「自分たちが忘れられていない」ということを何らかの形で示すことです。

ラジオ放送を利用すれば、同じ三陸町の中でも、ここの避難所にはこんな人がいて、どんな思いで生活しているのか、みんなは知ることができます。その避難所で足りない物資の情報を伝えることができます。
南三陸町の起こっていること、みんなの気持ちを共有するお手伝いをすることが、ラジオを通じての皆さんの目的です。 

さらに、ラジオを行う中で、放送を聞いてくれている人たちから、「こんな情報を流してほしい」という声が集まってくるようになればいいと思います。南三陸町の人々は、南三陸町のことを知ってほしいと考えているはず。伝える出口があることを示せば、積極的に声が寄せてくれるかもしれません。
そしてゆくゆくは、その地域の皆さんが、放送ブースに来てくれてしゃべってくれたら・・・それがコミュニティFMです。取材した人々の中に、ラジオに向けてしゃべりたい人がいる。「それじゃあ一回来てくださいよ」と答えてみたらいいと思います。街の人たちのコミュニケーションツールになってくれればいいし、聞いてくれている人の知り合いが出演してくれるかもしれない。私たちの時は、ラジオから知っている人の声が流れてくるだけで安心した、という声が多かった。

そこまでじゃなくても、放送しているブースに寄ってみて下さい、と誘ってあげる。見に来てくれたら親近感がわくと思うんです。放送の邪魔になるから静かにしてください、って言うんじゃなくて、今ブースをのぞきに来てくださったのは、どこどこの何々さんです、と紹介してあげる。フレキシブルで、良い意味での手作り感が、放送と被災者の方々との垣根を取っ払ってくれるんじゃないかなと思います。

集まった気持ちを分かち合って、一緒に作る。そんな色々な情報を共有できるラジオになりますよ。

 

リストマーク(青四角)被災地の取材の心構え

阪神淡路大震災の取材で注意し合ったのは、「被災者の視点」を忘れないようにしようということでした。憐れむ必要もないし、あまり客観的になる必要もない。ただただ同じ立場として、情報の共有をお手伝いする姿勢でした。皆さん大変ですねとか、がんばれって言う必要なんてない。だって、大変なのは見ればわかるし、がんばっている彼らにがんばれと伝える必要なんてないですよね。

私自身が特に気を付けていたのは、自分が言われて嫌なことは言わないこと。彼らの気持ちを理解し、共有することです。つらい気持ちも分け合って、うれしいことは一緒に喜ぼうといった、そんな気持ちです。

伝えてあげる、教えてあげる、というおごった気持ちからの報道でもだめです。私たち記者は取材に行って「とり上げました」という表現してしまう。どうしても「素材」として無意識に扱ってしまうんですね。取材対象者と話していて、その時は心通じることがあったとしても、放送を聞いたらがっかりするでしょう。なんや、自分らのためかいなって。こういった上目線じゃだめです。私たちが「とり上げた」じゃなくて、こんな出来事について皆さんに「お伝えします」なんです。住民のラジオだということを意識して、素直な気持ちで伝えることが大切なんです。

 

震災直後の放送を経験された方から教えていただいた内容は、どれも実感を伴っていて真に迫るものがありました。ラジオ局が必要だから立ち上げよう。とする中で、どういった放送が必要とされているのかを教えていただけたのは本当に助かりました。あやふやだった取材に対する立場や、放送スタンスもこれでかなり見えてきました。参考になるお話ばかりで、ひたむきに語ってくださった吉田さんには本当に感謝です。 

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 2011年5月6日(金)  T

Tです。

本日はRYUKA-STYLEプロジェクトでずっと指導をしていただいている神戸新聞社OBの乾さんとお話をしました。
もしかしたら避難所の方のお話をお聞きして録音し、ラジオで流すというようなことがあるかもしれない。そうなるとどういう風に話をうかがえばいいのかと少し不安になっていました。

これまでRYUKA-STYLEを作るうえでたくさんの取材をしてきましたが、大抵は活躍する学生や何かのイベントなど基本的に「良いこと」ばかりを対象にしていたように思います。だからもし取材をするのであれば、その作法は変わってくるのだろうか、そんな質問を乾さんにぶつけてみました。

「もうこれからは津波のことや地震のことよりも、どうコミュニティを再生するか、どんな町を作るかという未来の話を聞くべきではないかな」

目からうろこが落ちるような気分でした。
我々の放送するラジオはコミュニティFMで、限られた地元に発信するものです。だとすればもう被害がどうとか、地震がこうだったということよりは、これからの考えを共有するお手伝いをするのがいいに決まっている。

「それに立ち上がろうとする人は強い。意外と君たちのほうが勇気づけられることになるかもしれない」

誰かと話をするたびに、少しずつ少しずつ、前に進めている手ごたえを感じます。  

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2011年5月6日(金)   ほそみち

今日は、ボランティアのことと離れて、就職活動をしました。

来週の5月10日から5月12日にかけて、連続で3社最終面接が入ってきてます。そのために、少しでも面接の勘を取り戻すため、学校で面接練習をしました。普通は1対1の練習なのですが、さすがに最終面接ということで、私の希望で複数の面接官との面接になりました。

2週間以上まともな面接を受けていないと、受け答えに迷いが生じたり、用意していた解答を忘れてしまったりしました。
担当して下さったキャリア開発課の方は、「面接室へ入場する時の第一印象は◎。ただ、話が長いので端的に表現するように。」との助言がありました。

私自身も、その問題点には気づいていたので、早急に対策をとる必要があるのかもしれないと感じました。 

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 2011年5月5日(木)   ほそみち

昨日の会議の通り、南三陸や登米市などの情報に目を光らせました。その中で気になる写真を見つけました。

サイト「http://pirori2ch.com/archives/1507780.html

このサイトに載っている、南三陸町役場の写真。被災前と被災後では、全然違う・・・。色々写真を見ましたが、この写真が1番、東日本大震災の悲惨さを物語っている気がします。下の写真を見ると、小学校の修学旅行で見た、広島の原爆ドームを思い出します。 

他にはこちらなど「http://photozou.jp/photo/tagged/782121/Shizugawa_2011/04/24

 

私たちが、ボランティアに行く場所はこのような場所です。身が引き締まる思いです。  

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2011年5月5日(木)  ニッキー 

元気を届ける

私たちが現地で行う災害のラジオがいったいどういうものなのか、まだ全然イメージができません。そこで、WEB上で聞くことのできるサイマルラジオから、同じ宮城県にある『みやこさいがいFM』を聞かせていただきました。

現地の人たちはどんな情報を求めていて、それにどうこたえようとしているのか。どんなタイムスケジュールでどのようなスタンスから情報発信しているのか。この放送からたくさん学ばせていただきました。分析するべく、5月2日の放送分を録音して、とにかく書き起こしを実施しました。

臨時災害FMと銘打っていますから、たんたんと必要情報を発信しているのかなと思いきや、多彩なゲストの登場や、さまざまなジャンルの音楽の数々。リポートで伝えられる現地の人々の元気な声。メインパーソナリティー藤原さんの楽しいトークと、落ち着いた声で伝えられる現地の情報に耳を傾けていると自然と楽しくなってきます。

放送の端々から、現地の痛ましい様子は十分伝わってきます。しかし、それ以上に放送できらめきを放っていたのは現地の人々の希望の声でした。1000キロ離れた私を元気にしてくれたこの放送は、きっと現地の人々にも安心や楽しい気持ちを届けていることでしょう。

放送に携わる方々の話を聞いて思うことは、放送はとてもデリケートなものだということです。
言葉は気持ちを明るくすることもあれば、人を傷つけることもある。必要な情報を届けることもあれば、誤解を生むこともある。その厳しさも肝に銘じたうえで、この放送のように元気を伝えられるような放送を目指したいものです。

 

私たちは現地に行くまで、本当の意味で南三陸町の人々の求めている情報を知ることができません。肌で感じたニーズををくみとった上で、どこまでできるかが私たちの課題でしょう。

『みやこさいがいFM』のような役に立てるような放送を目指すためにも、南三陸町に行くまでにたくさん準備をしなければいけません。考えうる限りの今できることを実行していきたいと思います。   

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2011年5月5日(木)  あき

今日したこと:まとめ資料の読み込み。初日の大まかなスケジュール作成及び、名札作り。

朝から仕事までにまとめ資料をある程度読み込んだ。
夜、Tからの電話で初日のスケジュール作成をすることに。
グーグルマップで移動時間をチェックしつつ、ついでに大まかなルートを昨日購入したマップで確認していった。
それが完成すると、同時に頼まれた名札の作成に取り掛かる。

 

久しぶりにこういった物を作るため、あまり良いデザインに出来なかった。
しかし、こういうものは凝りすぎても良くないだろう。
わかりやすくさえあれば良い。 

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 2011年5月4日(水)  T

Tです。

放送原稿作成フロー(5月4日掲載分)画像は日比野さんから送られてきた資料です。

名取市の臨時災害ラジオ局「なとらじ」の放送原稿作成のフロー図とのこと。

日比野さんはいろいろな局をリアルタイムで回られているので、我々の参考になりそうな資料を送ってくださいます。非常に参考になるものばかりで助かります。

我々の役割というのは、放送局が地元の方たちの運営で行えるようにすることなので、こういった仕組みやり方をマニュアル化する作業がもっとも大切です。

仮に僕らがどれだけアナウンスがうまくても、どれだけ上手な原稿が書けても、帰ってしまった後できる人が残っていないということになれば失敗です。

自分たちだけで完結しない分、ある意味より難しいかもしれません。

 

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2011年5月4日(水)   ほそみち

今日の0時にスカイプで第2回目の会議を行いました。

私は、仮完成をしたレポートを各人に配り、報告。その後も、メンバーが順番に各々報告をしました。私の「現状」という項目があまりにも大変なため、人物調査をアキが担当することになりました。

私は「現状」のレポートを集中的に担当し、常に情報を集める係になりました。項目が1つに減ったのは、助かった・・・。ただ、他の5項目には終わりがありますが、私の「現状」には終わりがない・・・(遠い目)。

会議の結果、私のレポートは次回会議(5月8日)で締めることになりました。つまり、南三陸のHPに出ている情報や、警視庁から報告されている被害状況情報などを私のレポートに組み込むのは、その日が最後です。なぜなら、6項目をまとめてレポートが完成する。1度完成しているのにも関わらず、情報を更新しててはキリがないからです。 

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2011年5月4日(水)  あき

今日したこと:地図の確認。宿泊場所への確認の電話。

Tから宿泊場所へ幾つかの確認事項があるから連絡をしてほしいと電話があった。

宿泊は旅館。

旅館での洗濯や冷蔵庫の有無などをおさえておきたいとのことだ。確認の電話をいれ、解答を貰った。

そこまではよかったが「宿泊されるのはすべて男性でよろしかったでしょうか」と。

因みに私は 女 だ。

今電話をかけている私は、確か先刻「そちらに宿泊させていただく者ですが」と名乗った。

まあ、良しとしよう。

とにかく、そうして確認を入れた。

 

午後には地図が届いた。
もう少し詳細な地図かと思っていたのだが、やや縮尺が大きな地図であった。
ある程度の地名などは理解できるので、この地図を使って南三陸町の地理を把握するという作業をはじめた。
道路などもある程度把握したが、まだ完璧ではないし、情報のシェアもしなければならない。 

 

こなすべき事柄をできる限り迅速に、確実にこなしていきたいと思う。 

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 2011年5月3日(火)  T

本日は「RYUKA被災地復興支援サポートチーム第2回会議」を行いました、Tです。

1回目は29日の深夜にやっておりまして、これは現状を共有するのが主でした。そのときいくつか仕事を振っていたので本日はその確認などを中心に。 

準備として現在進めていることは大きく分けて3つ。

1つは以前福井先生から提案いただいた現地レポートの作成です。
歴史、産業、人、方言、現状など各項目を分担して取り組んでいます。

2つ目は、他の緊急災害放送を聞いて勉強しようということです。
どういう情報を発信しているのか、どんなコーナーがあるのかなど分析をすることにしました。ちなみに対象はみやこさいがいFMです。

そして3つ目は、人に会ってラジオや震災のことを聞くということ。

これは僕が去年ラジオ講座でお世話になった方などを中心にアポイントを取って、ヒアリング。後ほど共有するというやり方で進めています。

それと一応チームにおける決定権や責任の所在を明らかにするためにリーダーと副リーダーを決定しました。リーダーはTで、副リーダーはあきです。今まで同様各自が力を出せるようにうまいことまわしていければと思います。 

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2011年5月3日(火)   ほそみち

今日は朝6時から17時まで、レポートのまとめとワードに打ち込む作業をしました。
昨日は範囲が多すぎで茫然としました。しかし、資料が集まり軌道に乗ってくると、書くべきことが見えてきました。

ただ量が多くて、何をやれば良いのか分からない状態であった昨日。資料を集め、現状を把握していくうちに、「現場で何が起こっているのか」「行く前に何を学ぶべきなのか」「行ってから必要になる情報は何か」など、自分の頭の中がクリアになり、順序立てて項目を整理できるようになりました。でも、大変・・・・・。

 

15時頃、ニッキーから電話がありました。

「おつかれ~。状況どう?」

「・・・・。」(無言の私)

「・・・・。え?どうしたん?」

「よくも大変な仕事振ってくれたな!!!現状って、範囲が多すぎで訳がわからんわ!それに、報告される情報は今この時にも変化する。例え今日のレポートが完成しても、無限に更新せなあかんがな(笑)。」

自分の中では、完成の筋道が見えていましたが、ニッキーにとりあえず、八つ当たりしました(笑)。ストレス解消が出来たので、そのまま完成まで缶詰。

ニッキーも多言語CD関連で大変だったらしいです。八つ当たりしてごめんね・・・。 

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2011年5月3日(火)  あき

今日したこと:スカイプでのミーティング

夜から会議を始めた。

各自の進捗状況を報告。
T・ニッキー・ホソミチに、後方支援のヒデも加わった。
私は振り分けられた、方言まとめを提出。

ただ深夜まで及んだせいで途中で一回意識が飛んでしまった……。

寝てしまったのだ。

 

申し訳なさ過ぎて、穴があったら入りたい。  

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 2011年5月2日(月)  T

本日は非常に忙しい日でした、Tです。

今日やったのは、行くまで、放送開始まで、放送開始してからの3つのセクションに時間を分けてそれぞれでやるべきことを書きだすという作業です。

やるべきことが見えていないと、道がどこまで続いているかも、どこまで進んでいるのかさえ分かりません、という福井先生のアドバイスです。

ひとつひとつ書き出していくとA4用紙数枚の量に・・・。

 

もう一つの作業は助成金の申請用紙を記入することです。どういう団体かと何をするのかが主で、文章化するのに大変時間がかかります。

ボランティアをするにも交通費や必要なものを購入するためにお金が必要です。財源を確保しなければなにもできないのです・・・。

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2011年5月2日(月)   ほそみち

こんにちはー。ほそみちです。

今日はいろいろ忙しかったです。午前中は、選考中断している会社へ件のメールを送信。その後、神戸まで出て、面接。帰ってきてからバイト先へ行って、休む旨を伝えました。さすがに急きょ休むので交換条件として、8日の夜勤に入れとのこと・・・。忙しい店舗やのに2人でやれとか・・本気ですか(汗)。基本は4人体制で勤務するのですが、その日はみんな休みを入れており、人数が足りないらしいです。まぁ、仕方ないですね・・・。

帰宅後、私の担当するレポートを作成するため、資料集めをしました。私の担当は、南三陸と登米市の現状と人物です。
資料集めをして思ったことが2つあります。
1つ目は、現状なんて刻々変わるので、集めてもまた変更しないといけないという事です。例えば、南三陸町のHPから、被害状況、避難状況など定期的に報告があります。しかし、ほぼ毎日人数が変更されており、今日集めたデータが正確だとしても、明日には変更されているかもしれない。
2つ目は、現状をどの範囲でレポートに記載するのかということです。現状というのは漠然としており、何を載せるのかをまず決めないと、データは星の数です。

レポートは、地理、歴史、産業、人物、現状、方言という6個の項目があり、3人で2つずつ担当すると決まりました。その場の流れで、あきに「じゃあ、ほそみちは現状と人物ね」と担当を振られました。

その時は、何も考えず了解しましたが、よく考えると、現状はある意味、上記の6項目をすべて網羅するほどの大変さ。もうちょっと、考えてから返事をすることを覚えるべきだと痛感・・・。

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2011年5月2日(月)  あき

今日したこと:各自にふりわけた現地情報のレポートの作成。(私は地理・方言担当)

昼間にT・ニッキーからtel。
他のFM局の災害放送を聞け、とのことだったが、時間ができるか不安だったので他の面子にまわしてくれ、と頼んだ。

ただ、何もしないのは嫌だったのでとりあえず帰宅してからサイマルラジオで2局程度聞いてみた。
軽く流し聞く程度にとどめたため雑感は避ける。

とにかく私達の場合は必要最低限をこなすことが先決。 クオリティよりもまずは放送をする、ということが大切なんだと思う。

災害時、コミュニティFMがすべき役目を果たしてゆきたい。

 

まだまだ、色々とできることを模索している段階だ。
方言については、まとめブログを参考にさせていただいた。
かなり覚えることが多い状況だが、精一杯の知識を詰め込んで現地入りしたい。

 

現地入りするまでの残された時間を有効に使いたい。  

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 2011年5月1日(日)   ほそみち

こんちわー。ほそみちです。

昨日「FMわいわい」の日比野さんと打ち合わせがあり、急きょ私が参加する形で、お話を伺いました。そこで、機材の打ち合わせ、タイムテーブル作成に際してのアドバイスなど細かなことを教えていただきました。
また、日比野さんは現地でコミュニティーFMを開局されている所をまわられており、どのような機材で放送しているのか写真を見せていただきました。

その後、福井先生と一緒に食事をしながら、現地での宿泊場所、飛行機の手配などを行いました。私は、参加するか保留の状態でしたが、参加するなら2陣のメンバーとして恥ずかしくないようにと、細かな情報を確認しました。

また、その場で選考中断中の会社へメールを送るため、文面作成しました。私は、iPhoneとずっとにらめっこしていましたが、横であきさんとニッキーが頻りに「やばい、やばい」を連呼してました。実は、現地の逗留先である旅館が満室状態であり、いろいろな場所へ電話していたのです(笑)。確かに、この時期に予約するのは少し無謀だろうと心で感じながらも、表情には出しませんでした・・・。

しばらく私は、ドリンクをチュウチュウ吸いながら、文面を考えていた所、ニッキーが「そうですか!、ありがうございます!」と熱狂しながら叫びました。私はその声を聞くと、意識が浮上し、ニッキーの顔を見ました。そうすると無言でニッキーが片手を挙げ、ハイタッチしようとしてきたので、私はとりあえずタッチしました。まぁ、ネタで空かしてもよかったんですけどね(笑)

何にしても、当日の宿泊先と飛行機の手配が出来て良かった・・・。私の時も、宿泊先で苦労するのだろうかと心穏やかではありませんでしたが。。。

その日の帰り、兵庫駅へ向かうときこのチームの名前を考えながら道々を歩きました。アイデアはほいほい出るのですが、誰もそれをメモってないので、「決まっても忘れるパターンやろ」と突っ込みながら、帰路につきました。私はそのあと、夜勤のバイトがあったので、体力的にきつかったですが、ボランティアの意義を考えるとそのようなことは言っていられない状況ですよねー(汗)。

次は3日の24時にスカイプで会議か・・・、バイトを休まないと参加できないな・・・。店長にしばかれそうや(笑)。 

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