甘口全盛の時代に‟辛口”ブームを引き寄せた、菊正宗の『非常識』な挑戦とは?

甘口全盛の時代に‟辛口”ブームを引き寄せた、菊正宗の『非常識』な挑戦とは?

公開日:2021年3月2日

企業論特講

11月4日(水)、第5回目となる『企業論特講』を実施しました。

1990年にスタートし、今年で31年目となる同講義では、日本を代表する企業のトップを講師に招き、日常ではなかなか知ることのできないビジネスの本質を学びます。

この日の講師は、誰もが知る酒造メーカー・菊正宗酒造株式会社取締役会長の嘉納毅人氏。創業360年の歩みと、これまでのさまざまな取り組みについてお話しいただきました。

品質が良いだけでは売れない。大切なのはそれをどう生かすか

菊正宗

嘉納家が神戸・御影の地で酒造業を開業したのは、1659年。その後、1877年に初めて海外(イギリス)へ清酒を輸出。1970年に業界で初めての『輸出貢献企業』として表彰され、その翌年に菊正宗の酒造用具一式が『国指定重要民俗文化財』の指定を受けたのと同じころ、嘉納氏は菊正宗酒造に入社されました。

当時の日本酒は甘口全盛の時代。菊正宗が製造する辛口に対し、「得意先からはクレームだらけだった」そうです。あんな辛い酒は売れない、もっと甘くしろと。しかし、すでに甘口を売っている先発メーカーが多くあるなか、後発で出しても売れません。辛口を売るためにはどうすればよいのか? 考えていくなかで、嘉納氏は大学時代の教授の言葉を思い出します。「品質が良いだけでは売れない。品質の良さをどうやって生かすかが大切」。

厳しい状況下でも、挑戦しないと前には進めない

醸造実習研修会

そして行ったのが、有料の『醸造実習研修会』。社員が講師となり、‟有料”で辛口の売り方を得意先のセールス担当者に教える、のです。甘口全盛の時代に辛口を売るのは至難の業。社員からも「有料のそんな研修会に誰が参加するんですか」と、反発があったといいます。ところが、いざ実施してみると予想外の反響。結果的に、200回以上開催し2,000名を超える得意先のセールス担当者が参加されました。

その後も、菊正宗の宣伝のような『日本酒ゼミナール』を280回以上開催(9,000名が参加)。「アンケートには、『宣伝してお金を取るなんて呆れた』といったお叱りの声もありましたが、それはごく一部。多くの人に満足してもらえた」と言うように、その後、世の中は辛口ブームになっていきます。これも商品のひとつの売り方であり、まさに『品質を生かして売る』という教授の教えに従った成功例、といえます。この経験を振り返り、嘉納氏は言います。「会社が非常に苦しい状況にあるなかでこのような取り組みを行いました。なんでもやってみること、です。挑戦しないと、前には進みません」。

辛口の日本酒販売を支えた『試飲販売会』

ああ

売れないと言われ続けた辛口の日本酒ですが、嘉納氏はその強みを「辛口が樽詰に合うところ」だと言います。とはいえ、‟樽詰”が使われるのは祝賀会や結婚式。残念ながら、銘柄や品質などはあまり重視されないそうです。しかし、嘉納氏が入社した当時、各社は夏場に『冷用酒』を販売していたものの、特に冷やしておいしいお酒ではなかったため、『冷やすとおいしさが際立つ樽酒』を冷用酒の代わりに販売する、ことを考案。セールス担当者に、酒販店の店頭で試飲販売会を行わせたところ、「セールスは楽な仕事をしている」と製造現場から不満が。そこで嘉納氏は、製造現場から『樽酒セールスプロモーター』を募集。研修を行い、土日に酒販店へ派遣することに。この試飲販売は大成功し、試飲した人の半分以上が商品を購入してくれるとともに、『セールスの仕事は大変』との認識が広まったそうです。何より、「場所を提供していただいた酒販店に、試飲販売会で商品が売れる、と認識してもらえたことが大きかった」と、嘉納氏は話しました。

ただ‟そのとき”を待つのではなく、先手を打っていく

若い世代のお酒離れが進むなか、『日本酒の復活』を見ている、という嘉納氏。「10年前、創業350年を迎えたとき、東京で試飲会をしました。すると、通りがかりに立ち寄ってくれる男性と違い、女性はその試飲会場を目指して来られるのです。特に、日本酒を好む若い女性が増えてきていることから、まだ少し時間はかかるかもしれませんが、日本酒へ回帰する傾向があると思います」。ただ、‟そのとき”を待つのではなく、いろいろな手を打っていかなければならない、と。そのために、今まで同様、新たな挑戦をしながら、世の中の流れにうまく乗る努力を続けています。

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